地震後1日経って
3月11日の地震は東京のはずれでもビルの中で悲鳴が上がるほど怖く、尋常ではない。と感じました。
東北地方の方々の恐怖はどれほどであったか。想像もつかない領域です。
原子力発電所も安全に停止できるように全力を尽くされているようですので信頼して見守るばかりです。
また、すでになくなられた方のご冥福を祈るばかりです。
今日は1日経っていくつか思いついたことをいくつか書きたいと思います。
1)定説どおり津波などの二次災害での被害者が多い。
子供のころから地震が起きたら(収まった後に?)高台に逃げろ。と
教えられてきました。
もちろん津波による被害が想定されるための島国日本ではごく普通に
経験が積み重なった結果の教えだったのだろうと思います。
昨晩津波でYoutubeで引っ掛けてみましたが漁業関係者と思われる方々の
被害が多い印象を受けました。
#もちろん被害箇所が、漁港や市場という関係もあると思いますが。
地震直後に関係者が災害活動としてまず最初に火の元を確認を10分で済まして
総員一時退避を指示していれば駐車場の車を置いていくことになっても人的被害を抑えられたのでは?
と、いう思いに駆られます。
2)海外援助の有難さ。難しさ。
今回の地震が今後このまま収まれば被害地域は東北地方太平洋側を中心に
東北地域全体といった形になるかと思います。
日本からの海外援助の申し込みはアジアパシフィック近隣で政治的対立の少ない
アメリカ、韓国、ニュージーランド、オーストラリアの4カ国に留まっている。
それに対して援助隊派遣の申し込みは40カ国を超える国々から挙がっている。有難いことです。
外務省官僚に緊急対応でそれを裁くだけの器量があるかどうかは。まあ、置いておくとして
物理的、人的に全申し出を受け入れることも困難な状況と考えられる。
問題はいくつかあるが、人的問題として各チームに対して日本人オブザーバがつくだけの余力が日本人側団体にあるのか?
#日本語を理解していないと救急は難しい。意図せず日本のほうを侵す危険がないとも
いえない。などなど
日本人で外国語が話せる人材が少ない。外国人で日本語が話せる人材がそれ以上に少ない。
というところが効いていると思う。
また、東北地方沿岸部は想像でしかないが、日本を象徴するような地形であったと考えている。
平地->住宅地、水田など農地、山岳地、海と日本人にはまあ、そうだよね。という話になる。
とりわけ仙台を離れると海岸地域はすぐに山となるので海ー道路ー山みたいなエリアが
おおいと想像している。
#ピンポイントな想像で実はそうではない。というのであればすみません。不勉強です。
日本の大半が6-8割が山で平地は残りのわずかなエリアに人口が密集している。
といったことを海外の方が理解しているか?というところが疑問のポイントである。
大勢(数千ー数万)の人員が展開して駐留するだけのエリアが日本のどこにもない。
休耕の田んぼにテントを張るなら別ですが。それでもある種の日本人には
それすら許しがたいでしょう。
#田んぼでお米を作っている人にとって他人の土地でも田んぼに大人数でキャンプみたいな
#ことをしているのを見ていい感情を抱かない。というのはまあ、愛着?心ですかね。
#職場に土足で乱入のように感じるという風に考えられると。
#そのあたり日本人でも感情的にはあまり変らないかと。
援助隊が1チーム当たり3-40人であれば
日本語の通じない40人の泊まるところ。
となると避難者がいない、学校のような公共の施設を準備できるか?
といったところで、このあたり、被災度によってはあるところもあるでしょうか?
おそらく12日の間にインフラの被害状況が把握されれば、支援が必要なエリアも
把握できるので13日にはその箇所に日本のリソースを投入
14日以降に手が回らなければ海外の援助チームを海路/短距離の空路ヘリとか で輸送となるかな?
遺体の回収作業をどうするか。など現場の方々にとっては頭の痛いことが
続くと思いますが、できるだけ非難されている方々で体の動く方にボランティアで
やっていただくほうが、リソースの有効活用かな?
#金もらってもやりたくない仕事だとは思いますが。
などつらつら。とおもいついたので書いてみました。
有名なアニメから
「生きていればなんとかなる!!」